ヨガはもっと自由でいいと思う
ヨガのアーサナはこうあるべき。
ヨガとはこういうものである。
ヨガが目指すのは〇〇です
のようにいう人がいますが、ヨガはもっと自由でいいと思っています。
そういう人も、信条があって言ってるのであればいいのですが、ほとんどの場合、「そう教わったから そう言っている」という場合がほとんどです。
私はヨガというものは、、
と私も私なりに「ヨガはこうあるべし」というものがあって・・・
いや、こうあるべき、とは思ってないですね。
私はこう思う、くらいな感じかな。
私はヨガというものは、
フィットネスのためのツール
だと思っています。
参加者の身体や精神を健康にするためのツールだと、いうことです。
ヨガそのものを手段にするわけじゃありません。
ヨガのポーズをやることが目的になったり、
柔軟性にこだわったり
ポーズの形にこだわっていたり、
美しさを競う様なヨガをしてみたり、、
難しいアーサナを目指してみたり、、
私のヨガ観はそういうヨガじゃないのです。
私のヨガ観は
60分なり、80分なりのヨガのクラスを何かしらの目的をもって行う
というものです。
なんとなく色々なポーズをするんじゃなくて、こういう目的で、と結構明確な目的をもっていいと思います
というか、目的はできるだけ明確にした方がいいと思っています。
「チャクラがどうこう」、「宇宙のエネルギーが・・・」とかそういうことじゃなく、
こういう動きにアプローチするとか、背中をしっかり伸ばすとか、呼吸を意識するとか、自分の感情にフォーカスしてもいいと思います。
そいういう明確な目的をもって、自分の中でできることをやる。
前屈が苦手な人のためにヨガをするのであれば
・丁寧に大臀筋やハムストリングを伸ばしていくのか、
・膝を曲げ過ぎないように大腿四頭筋を収縮させ、膝を伸ばすことを意識したり、
・前屈するときに腰が曲がらないように、股関節から倒すことを覚えてもらったり
・プロップスを使ったハムストリングの伸ばし方を教えてみたり、
・あえて前屈を外す、というチョイスもアリだと思います。
前屈に対するアプローチだけでもこれだけあります。
これをただ単にやるのでなく、上記の目的のうち、一つだけでいいので、その目的のためにその60分なり70分なりをする、
みたいなイメージです。
前屈が苦手な人のために___〇〇をテーマとしてクラスをやる
ということです。
            